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寺宝

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南蛮屏風(紙本金地着色・六曲一双)

「南蛮度米人図屏風』あるいは『南蛮人渡来図屏風』ともいいます。以前は、御物でありましたが、現在は宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵となっています。各隻155.8cm、横334.5cmをはかるこの屏風の由来は次のようであります。キリスト教の禁今が出された慶長十七年(1612)に、家康公より僧侶らの勉学する所に立てよということで、当山に寄進されたといわれています。長らく寺宝として当山に所蔵されていましたが、明治二十二年(1889)に初代静岡県知事関口隆吉氏の斡旋により、元静岡藩主で徳川宗家を相続された徳川家達公に献上されました。その後、皇居造営を祝するために、徳川家より皇室へ献納されました。絵画の内容としては、長崎における南蛮人上陸の様子が描かれています。左隻は、南蛮船と荷下ろしの風暑、右隻は、南蛮人の行列と南蛮寺の様子が示されています。特に、右隻右上の祭壇の中にイエス像がはっきり描かれている、たいへん貴重な作例であります。背景となる雲を金箔使用し、船や人物の印象を強調したりするなど、随所に工夫が凝らされています。聖職者の派手な服装から、天正十年(1582)のヴァリニャーノによる以前の情景だということが推測できます。

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脇差 銘義助

德川家康公寄進の脇差。義助は島田製治を代表する刀工で、現存する一番古い年記は永正年記があります。この脇差もその時代の作刀と思われます。

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「安国殿」額

德川慶喜公卸真華

江戸府最後の将軍となった慶喜公が静岡在住中に書かれたものです。左中央に慶喜公の号である「興山」の刻印があります。また、額の裏側には明治13年3月、当山第17世知譽善承上人の代に奉造されました。「安国殿」とは、増上寺にある家康公が深く尊崇していた黒本尊阿弥陀仏が安置されている殿堂名でありますが、その名も家康公の法号である安国院殿徳連社崇譽道和大居士に由来しています。

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​位牌堂の天上絵(格天井)

旧本堂内に保管されていた天上絵の一部。花、鳥、魚、動物などが描かれていますが、中にはとてもユーモラスなものもあります。江戸時代の職業絵師によって制作されたものではないでしょうか。なお、絵の裏側に奉納者の名がみえます。

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東照大権現像(絹本着色軸装)

江戸時代に描かれた画像であるが、詳細な時期は不明です。三葉葵紋が入った幕の下で、繧繝縁の上畳に座す、衣冠束帯姿の徳川家康公(東照大権現)が描かれています。

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郭山什物帳

慶長17年(1612) 

​家康公の命で建立された当院に、開山の​廓山正譽が納めた什物の一覧です。家康公と松平正久氏により寺地が選定され、僧衆の住坊が整備されました。家康公が領地安堵の朱印状を出し、什物を寄進しています。

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三代将軍家光、駿府への想い

徳川家光朱印状写

寛永13 (1636)年来迎院所蔵

家康の孫家光が来迎院に出した領知安堵の朱印状の写。家光は上洛の折り、駿府に立ち寄り、駿府の城下町に米を下賜した。祖父の家康を尊崇した家光は、駿府の寺社にも手厚い保護を行った。

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徳川将軍最後の領知安堵の朱印状

徳川家茂朱印状写

万延元(1860)年 来迎院所蔵

十四代将軍家茂の領知安者の朱印状の写。

これが徳川将軍最後の領知安堵の朱印状となった。家族は上洛のため軍勢を率いて駿府を通っている。

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八代吉宗は、駿府の殿様頼宣の子孫

徳川吉宗朱印状写

享保3 (1718)年来迎院所蔵

八代将軍吉宗の領知安堵の朱印状の写。吉

宗は家康の没後に駿府城主ついで紀州藩主に

なった頼宣の子孫。吉宗も紀州落主時代は、参勤交代で駿府を通ったことであろう。

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浄土の喜び

平成22年7月吉日 森谷明子先生作

来迎院創建400年を記念して、日本画家の森谷明子さんより蓮の絵2作品が奉納されました。本堂の正面【西側】に位置する阿弥陀様に向かって左手【南側】に温かい気持ちに包まれる感じの「浄土の喜び」があります。

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​苦界の救われ

平成22年7月吉日 森谷明子先生作

来迎院創建400年を記念して、日本画家の森谷明子さんより蓮の絵2作品が奉納されました。本堂の正面【西側】に位置する阿弥陀様に向かって右手【北側】に幻想的な「苦界の救われ」があります。

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四曲一双屏風「龍と風」

平成25年6月吉日 森谷明子先生作

​東日本大震災後、龍の風によって悪い流れに変え、一日も早い復興を祈り作成されました。また、このお寺を訪れる方々に益々の幸せと幸運がありますように、との思いで納められました。

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